parole Jouet

見たり聴いたり、嫌だったり素敵だったりな小品文

イイスス・ハリストス

めりーほわいとくりすます

天皇のことを考えて過ごそうと思った23日にクリスマスを済ませ、水、木と、街のクリスマスに賑わうのに寂しさを感じずにはいられない帰路でありました。

クリスマスのイルミネーションに、店先にずっしり置かれた門松。繁華街のくせにちゃんとしている、と意地の悪いことを考えて、頭を水引で飾って和装をする妄想をしました。

水引が好きです。

イルミネーションは、なんだか一瞬で飽きてしまうんです。

まあ、今年もきたのだわと感じた瞬間あとにはもう、飽きてしまうのです。

何故だろうかと少し思案をしてみます。芸が無いようにも思いますし、芸を凝らせば下品に思う。一色のそれは好きだけれど、それだけのように思います。

クリスマスは嫌いではないけれど、賑わいの様子に街の表面がそうドラマチックでもなく、飲み会に来てテンションの上がった野暮ったい青年のような、そういう印象を持つのです。

多くの街を知らないせいもあるかもしれない、とここで提言(入れ知恵かもしれませんが)をします。

自分の好みにあった、若しくは、見合った、あるいは、少し背伸びをした、そういう街へ行くのであれば、洗練されたクリスマスが待っているのでしょうか。

綺麗な夜。

雪が降ったのです。雪国の中では雪の少ない土地で珍しく、雪がはらりはらりと、傘をなくしイヤーマフをする私の髪に踊るように、雪は落ちました。

数日の幸福の分ですよとやらかい笑顔で、雪をモチーフにした洋服を纏う天使に苦楚を手に与えられたような気になっています。

疾苦を望み、窮愁より強く襲い掛かるようにされ、倒懸するのもしようがないことだとまばたきをゆっくりにしてしまいそうな、不思議と分かっていた苦楚。

あ、いけないこんな暗鬱としたことを考えるつもりじゃあ無かったんだと私ははたと気が付き、口角はあげませんが表情を変えました。変え方を知っているのです。晴れやかに、輝きを持った目をさせる方法を知っています。させることが叶ったのは、もうどこかで馬鹿馬鹿しいと自分の思考を蹴飛ばしているせいもある、と結論をさせ、駅のホームに立つ前に気持ちの切り替えるのに成功をしました。

良いクリスマスを。